上ノ郷城跡を愛する会
|蒲郡市トップ|博物館トップ>もくじ>上ノ郷城跡を愛する会 1 2 3 4 5 6 7
徳川家康の上ノ郷城攻め
永禄3年(1560)、桶狭間の合戦で織田信長が今川義元を討ち取った後、それまで今川氏につかえていた松平元康(のちの徳川家康)は岡崎城を拠点として独立を図りました。
三河の国は松平方と今川方に分かれて互いに争うようになりましたが、そのような状況下、鵜殿長照は、今川方として松平氏と戦うことを決意します。
三河の統一をもくろむ松平元康にとって、三河における今川勢力の代表ともいえる鵜殿氏は、ぜひとも倒さなくてはならない相手でした。
そして永禄5年、松平元康の勢力が攻めてきたことによって、上ノ郷城合戦が起こりました。
城攻めは、当初、堅い守りにさえぎられて、松平方に大きな損害が出ました。
その後、松平元康自身が出馬し、上ノ郷城北西の名取山に陣を構え、再び城を攻めました。
そして永禄5年2月4日、夜陰に乗じて元康配下の忍者が上ノ郷城内に忍びこんで火をつけ、城中が混乱したところを落としたと伝えられています。
城主の鵜殿長照は討ち死にし、二人の子は生け捕りにされ、岡崎城へ連れていかれました。
永禄4年から8年にかけて、松平元康は三河を統一していく過程で、何度も合戦を行いました。
その戦いにうち勝って、強固な地盤を三河に築いたわけですが、上ノ郷城攻めとその勝利は、まだ若かった元康にとって、今後の命運をにぎる重要な一局面であったといえるでしょう。

左:正行院の石碑 / 右:上ノ郷城周辺図
現在正行院のあるところには、かつて上ノ郷鵜殿氏の菩提寺だった「長応寺」がありました。
長応寺は上ノ郷城落城の際に焼失しています。
もくじ
「上ノ郷城跡を愛する会」について
上ノ郷城跡について
鵜殿氏とは?
徳川家康の上ノ郷城攻め(このページです)
その後の鵜殿氏
発掘調査の実施
城跡へのアクセス
上ノ郷城跡ってなんだ? こども向けページ
△上に戻る
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
〒443-0035 愛知県蒲郡市栄町10番22号 TEL:0533-68-1881 FAX:0533-68-1880
メール:博物館 museum@city.gamagori.lg.jp